Hospital in JAPAN

2004年6月7日
成田に到着後、救急車にて大学病院まで約2時間半…その間にした事は溜まっていた携帯のメールのお返事です(^^ゞ朝のひどい渋滞にもぶつからず、無事に到着!
病院の救命救急センターに到着してバリで撮ったレントゲン等をバンバンと出した。(あっ、そう言えば寝たきりだったからレントゲンの説明を私ってば受けてないよう…)先生が「何か説明してほしい?」と言ってくれたので説明してもらった。
要するに私は第一腰椎が60%ほどが破裂骨折していてそれが神経を圧迫している状態。レントゲンを見る限りでは足にしびれもなく麻痺もない状態であるのは珍しいらしい。この患者はなんで足を動かしてるんだろうって思ったそうだ。また、足は踵骨が骨折しているそうだ。で、少しズレた状態で固まってきているらしい。

6月9日
術後に着けるプラスチックの硬いコルセットの為に型を石膏で取る。「胸は大きめでお願いします」と言ったが、やはり小さかった…(-"-;)

6月14日
9時から約4時間半の手術で後遺症も出ないで成功ですo(^0^o)♪o(^-^)o♪(o^0^)o
しかし、最近の自分の傾向で全身麻酔が覚めるのが早いです。とは言え、予定として部屋で麻酔が切れてだんだん痛くなるつもりだったのに目が覚めたのは手術室(これは初めてじゃないけど)。覚醒したとたん、ひどくこわばったような息苦しい痛みが背中を襲った。「覚醒早すぎ!!Σ( ̄∇ ̄;)!!マジですか???」って気分!!
これって後で聞いたところ術後10分程(縫合から30分)だったそうだ。何で〜〜〜?手術室の会話はバッチリ記憶してますよ、先生。瞳孔が開いてるから顔は認識できないけどね。朦朧とした会話じゃないよん♪
まぁ、痛み止めの点滴を早速されたので、次に気が付いたのは個室。感染予防だそうで…のちのちの請求が怖い…(;^_^A

6月15日
この日は消毒で1回だけ横になる以外はず〜っと仰向け…痛いからイイですぅ。でも、通常食事がないと聞いて「え〜っ、お腹すいた!お腹すいた!」と騒いだら昼食が出ました。「気分だけできっと食べれませんよぉ!」と言っておきながら食べちゃいました(^^ゞ

6月16〜17日
ベッドを30度までアップが可能。看護婦によって体の向きを変える事が可能。

6月18〜20日
ベッドを60度までアップが可能。自分で横になれる。これはバリで慣れたもんで上手よぉ!!
実家には内緒のこのケガ…家に実家から電話があったのでビビリました。
親「どこ行ってたの〜?」
私「ちょっと、買い物に行ってたのぉ(おい、どこにだぁよ!!…(;一_一))」

6月21日
コルセットが出来たのでリハビリ室でベッドごと90度(実質は80度)までやって貧血を起こさなかったし、平行棒で立つのと車椅子への移動が出来たので夜からナース介助付きで車椅子がOK!あ〜っ、これでトイレにいける(≧∇≦)
翌日から自主トレを朝晩30分ずつ始めた。

6月23日
ナース介助無しで車椅子が可能になった。この日に足の装具の為の型取り…足を手術するかしないかの決定が遅れたのでこの日になってしまったが超特急で作ってもらう事に…

6/26 術後2週間位、自力で車椅子で徘徊中!!

6月30日
足の装具が出来上がる。リハビリは明日からだけど嬉しいのでトイレに行く時に既に付け始めた。これが腫れた足になかなか痛いんだわ(;^_^Aでも、頑張っちゃうもんね♪

7月1日
装具を付けてのリハビリが始まる。歩行器で病棟内のみ歩行可。うれしいのでやはり自主トレしたら、主治医に「うん、もう普通の人だね。火曜か水曜日に退院してイイよぉ」だって!!やったね。

7月7日
エレベータの中で主治医達&その他医師達(8人位かなぁ…白衣がいっぱい)に囲まれ
「あっ、パラグライダーの子だ」(おっ、主治医じゃないのにバレた)
「もう、飛ばないんでしょ?」
「いや、懲りずに飛ぶらしいですよ(主治医)」
「えっ、そうなの?またのお越しをお待ちしてます(^.^)b」
『Σ( ̄∇ ̄;)!!それはいやだぁぁぁ!』
医師達に可愛がられながら退院(〃∇〃)へっ!

退院したので早速、記念撮影!!ばんぼお命名「サイバー・アンドロイド・YUKO」の完成(^.^)b

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